【先生コラム】 新井聡真先生
ミュージックビジネス・テクノロジ-専攻准教授
2024年4月、音楽大学でICTを専門的に学ぶ「ミュージックビジネス・テクノロジー専攻」(MBT専攻)が生まれました。
毎年ご好評いただいております先生コラム。今年は、MBT分野がご専門の新井聡真先生です!

プロフィール
新井 聡真 Soma Arai
博士(情報学)(東京電機大学、2024年3月)。
東京音楽大学准教授、東京電機大学非常勤講師。
心理統計・音楽情報学・計算機科学を基盤とし、音楽に関わる認知および教育的側面の研究を行う。
論文(主著・共著)は Sound Music Computing Conference 2023(ストックホルム)等の国際会議および査読付き国内学会誌にて採録。音楽作品は International Computer Music Conference 2017(上海)に入選。
2015年より「電子音響ピープルプロジェクト」立ち上げに参画、現在副代表。カールスルーエ・アート・アンド・メディアセンター(ドイツ)など国内外の施設でワークショップやコンサート企画に携わる。
所属学会は情報処理学会、日本音楽表現学会、日本教育心理学会、先端芸術音楽創作学会。
質問① 先生はどんなお子さまでしたか? また音楽や ICT に興味を持たれたきっかけを教えてください。
小・中・高と、私はバスケットボールを中心としたスポーツ一筋の少年でした。当時の夢は NBA 選手です 。勉強は二の次で、チームスポーツから個人競技まで、とにかく身体を動かすことに没頭していました。 喘息を抱えながらも、 学校のスポーツテストでは常にトップを争うほど活発だったと記憶しています。 研究の世界に入って実感するのは、「知的体力」の重要性です。 長時間の集中や粘り強い試行錯誤を支えるのは、 結局のところ基礎体力に他なりません。10 年以上の運動習慣で培った体力は、現在、研究という営みを根底から支える礎となっています。

一方で私が情報学に興味を持ったのは、実兄の影響が極めて大きいです。兄は私とは対照的で、 幼少期から数学やプログラミングに没頭し、 その後順当に情報学の道へ進んだ人でした。外でボールを追いかける私と、家で数式やプログラムと向き合う兄。誰が見ても正反対の兄弟でした。大学進学時、私も兄と同じ情報学を専攻しました。「情報」という言葉の定義は、実際には非常に広大です。ウェブサイトの記事や SNS の投稿だけでなく、人の脈拍や脳波、友人と話すときの表情や声トーンも全て情報であり、研究対象となります。この「何でも情報として捉えられる」という学問の懐の深さに、 当時の私は知的偏食を排するダイナミズムを感じました。

大きな転機は、学部 3 年生での研究室配属でした。趣味でバンドをしていたこともあり、音響・音楽を専門とする研究室を選んだのですが、これがそれまでの 「勉強」を「探究」へと変えてくれました。自分で仮説を立て、まだ誰も知らない真実を解き明かす。既存の知識体系に新たな一頁を加える試みに、 未熟な一学生の身ながら、 知の最前線を切り拓くような高揚感を覚えました。大学院時代、国際会議の公募に向けて締め切りの 10 日前から研究室に籠もり、持てる全技術を注いで音楽作品を制作しました。その作品が入選し、 上海で発表する機会を得たことが、情報学と音楽が私の中で完全に結びついた瞬間でした。
質問②普段 MBT の学生と接してお感じになることをお聞かせください。
MBT 専攻の学生は、驚くほど多様です。2024 年4月に発足した専攻でありながら、すでに約 100 名が在籍しており、 幼少期から演奏・作曲技術を磨いてきた学生に加え、 個人でゲーム制作に取り組む学生、文筆活動を行う学生、IT 企業の経営経験を有する学生など、背景は実にさまざまです。

こうした多種多様な背景を持つ学生たちが、ミュージック、ビジネス、テクノロジーという三つの領域を横断的に学ぶ環境に身を置くことで、新しいものに対する極めて高い吸収力を発揮しています。一方で、その吸収の速さゆえに、興味の対象が次々と移ろいやすいという危うさも孕んでいます。この瞬発力は武器になりますが、 一つの物事を社会に実装可能な形にまで昇華させるには、やはり「粘り強さ」が不可欠です。ここで言う粘り強さとは、単に同じ場所に留まり続けることではなく、壁にぶつかった際に「いかに歩みを止めないか」という、前向きな継続力を指します。そのため、学生が壁に突き当たって相談に来たときは、過去の反省に終始するのではなく「次はどうしたいか」を重点的に問いかけるようにしています。 不運な状況や環境に阻まれ、立ち止まってしまうことは誰にでもあります。そこで「自分には向いていない」と投げ出してしまうのではなく、 失敗という貴重なデータを糧に、 目的を果たすための次のアプローチを再設計する。そうした試行錯誤のプロセスを繰り返すことで、 結果として一つの物事をやり遂げる「持続可能な粘り強さ」が育まれます。私は教員として、学生の皆さんが自律的に歩み続けるための思考の伴走者でありたいと考えています。
MBT紹介映像1 編集:工藤 颯太
MBT紹介映像2 撮影・編集:高木 菜羽 BGM:横張 美奏
質問③音楽と IT の融合とはどういったことでしょうか。またそれを MBT ではどのように指導されていますか。
「音楽と IT の融合」 は、 単なるソフトの使い方やプログラミング習得を指すのではありません。MBT ではデジタルネイティブ世代の学生たちが、技術の変遷に左右されない「本質的な原理」を理解することを重視しています。カリキュラムは、 AI の基礎からゲーム制作、 CG、 IoT まで多岐にわたり、 理工系大学と同水準の密度で実施しています 。当然、学生は多大な苦労を強いられますが、その過程で「知的体力」が磨かれます。この知的な体力を土台として私たちが目指すのは、 単に多才な人材の育成ではありません。MBT はその名の通り、ミュージック、ビジネス、テクノロジーの三領域を統合した専攻です。本来、それぞれの領域は一生をかけて極めるべき深奥な分野です。それでは、なぜあえてそれらを同時に学ぶ「分野横断」を重視するのか。それは、領域の境界を越えて学ぶ経験こそが、生涯枯れることのない思考の「幹」を育むと信じているからです。
私は、 具体的なスキルを「枝葉」、物事を捉える視点や思考の型を「幹」 だと考えています。たとえば、生成 AI という新しい「枝」が現れたとき、その扱い方という上辺だけを知っている人は、 一見効率的に見えて、 実は最も変化に脆い状態にあります。 次の新技術が出れば、過去の知識は通用せず、またゼロから学び直すという 「終わりのない消耗戦」を繰り返すことになるからです。しかし、情報の構造を見抜く「幹」さえあれば、どんな変化も既存の知識の応用として捉え、即座に適応することができます。
それでは、私たちが育もうとするその「幹」とは具体的に何か。それは、「アーティストの感性で問いを立て、 科学者の論理で検証し、 実務家の視点で社会に届ける」という三つの思考様式の統合です。この様式を一人の中に同居させることこそが、MBT が目指す分野横断的な教育の本質です。

質問④ MBT で学んだことを、 社会に出てどのように生かして欲しいとお考えでしょうか。
技術の進歩はあまりに速く、今日学んだプログラミング言語やそこで培われている常識が10 年後には旧式になっているかもしれません。生成 AI がこれほど普及した現代では、「情報学を学んでおけば職に困らない」という言説も、かつてほどの説得力を持たなくなってきたと感じる方も多いのではないでしょうか。

AI が私たちの生活基盤に深く浸透していく中で、「そもそも勉強や努力をする意味とは何なのだろう」とさえ感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、 将棋の名人を破る AIが登場したからといって、 将棋で強くなるために積み重ねてきた研鑽は無駄だったのでしょうか。即時翻訳ができる AI デバイスが生まれたら、言語を学んできた時間は意味のないものになるのでしょうか。私は、そうは思いません。学びの過程で培った「課題を見極め、解決策を設計し、実行する能力」は、技術がどれほど進化しても陳腐化することはありません。大学院修了後、私は一度アカデミアを離れ、産業用 3D プリンターを扱う企業に身を置きました。ロケットエンジン等の精密部品を作るための現場は、0.1 ミリの誤差も許されない過酷な環境です 。 そこで徹底して求められたのは、 最先端のツールを使いこなすこと以上に、「地道なプロセスの遵守」と「結果への責任」でした。3D プリンターと聞くと一見、最先端の華やかな世界に見えますが、その実態は毎日泥臭い検証作業の連続でした。 しかし、この経験は、 楽器の練習などにおける真摯な研鑽と本質的に同じだと考えています 。 一夜にして身につく魔法のような技術は存在せず、 正しいプロセスを思考と身体に深く刻み込むことでしか、時代に左右されない普遍的な価値は生まれません。

MBT の学生たちには、一過性の成功談や表層的なトレンドに目を奪われることなく、目の前の課題に実直に向き合い、 改善を積み重ねる「思考の規律」 を持って社会へ羽ばたいてほしいと願っています。その泥臭い積み重ねによって得られる「原理原則を血肉にする力」こそが、AI には代替できない人間ならではの強みになると確信しています。
第21回ACジャパン広告学生賞 テレビCM部門 準グランプリ受賞作品
制作スタッフ:外立 真士、小山 誓太、工藤 颯太、臼井 陽登、松島 大空、高橋 英樹、伊藤 琉真、YANG HEEYOUNG
第21回ACジャパン広告学生賞:小さなゴミ箱?【テレビCM部門】準グランプリ受賞作品|ACジャパン
質問⑤学生や保護者にメッセージをお願いします。
音大生が持つ「幼少期から厳しい評価に晒され、技術を磨いてきた強さ」は、社会を生き抜く大きな武器です。その上で私は、皆さんに「教わったことを、あえて一度疑う」習慣を持ってほしいと伝えています。 科学哲学者のカール・ポパーは、科学を科学たらしめているのは「反証可能性」だと述べました。どれほど正しいと信じられている理論でも、反証される余地があるからこそ「科学」であり、その姿勢が科学を発展させてきたのです。予測不可能な時代において、 言われたことを忠実にこなすだけでは不十分です。 先人の知恵を学んだ上で、 自分なりの新たな問いを立てる。その主体的な問いかけこそが、 学生の皆さんを唯一無二の存在へと変えていきます 。
同時に、忘れてはならないのは、新しい挑戦には必ず失敗や激しい競争が伴うということです。 努力が報われたと実感できるのは、 10 年、 20 年という長い歳月の先かもしれません。
しかし、失敗の経験はレジリエンス(回復力)を育てますし、「失敗談」をエピソードトークとして語れるようになれば、それは共感を生み、周囲の人を惹きつける「愛嬌」にもなり得ます 。 このように、失敗を恐れず試行錯誤を繰り返すことは、決して無駄な遠回りではありません。それら一つひとつの経験こそが、実は「ひらめき」や「ブレイクスルー」として実を結ぶ日のために、広大な余白を埋めていく不可欠な作業そのものだからです。
天才的にみえる「ひらめき」や「ブレイクスルー」は、突如降ってくるものではありません。それはジグソーパズルの最後のピースのようなものです。 他の数千個のピースを地道に埋める作業を続けてきた人にだけ、最後の一片をはめる瞬間が訪れます。 ひらめきを待つのではなく、まず自ら 「打席に立つ」こと。化学者のルイ・パスツールが「幸運は用意された心のみに宿る」と語っているのはまさにそのことに他なりません。 地味で地道なプロセスを、どうか楽しんでください。
保護者の皆様におかれましては、 MBT での学びが、 従来の音楽教育の枠組みとは大きく異なるものであるため戸惑いを感じられる場面もあるかと存じます 。 学生たちが「感性」 と「論理」 の両輪を鍛え、 自立したプロフェッショナルへと成長していくプロセスを、ぜひ見守っていただければ幸いです。 教員一同、学生一人ひとりの可能性に全力で伴走してまいります。






